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渕上哲也のサカイノワ vol.1 「町名」

こんにちは、ライターの渕上といいます。サカイノマの片隅で、堺の不思議なあれこれにちょっとツッコミをいれていきますので、お見知りおきくださいね。

さて、サカイノマの「熊」は熊野町にあります。不思議なことに、熊野町(くまのちょう)なのに小学校は熊野小学校(ゆやしょうがっこう)っていうのは、なぜなんでしょう? 今回は、熊野町など不思議な由来がある堺の町名についてです。

堺区旧市街区の堀に囲まれていたあたり、昔の人なら堀之内なんて呼ぶこともある古いエリアは、北から南に整然と町が並んでいます。江戸時代の古い地図を見ると、今とほとんどおんなじ町名だったりするのですが、商売人と職人のまちだった堺らしく、そのまちでどんなものを作ったり売ったりしていたかが由来になっていることが多いんです。

たとえば北旅篭町と南旅篭町の旅籠(はたご)や宿屋町の宿屋(しゅくや)って、昔の言葉で旅館・ホテルのこと。材木町や櫛屋町には、材木や櫛を売るお店がありました。サカイノマ「錦」の錦之町と綾之町は、戦争のあった京都から逃げてきた機織りの職人さんが美しい布(綾錦)を織ったから。

そして「熊」の熊野町はちょっと複雑です。もともとはお風呂屋さん湯屋(ゆや)のある湯屋町だったのが、明治になって町にあった熊野神社(くまのじんじゃ)にちなんで熊野町に改名したんですって。だから町名は熊野町(くまのちょう)と読むのに、小学校は今でも熊野小学校(ゆやしょうがっこう)って読むんです。

ちなみに明治時代の頃に使っていた教科書を見てみると、当時の堺のこどもたちは町名で字を覚えたらしく、町名の並んだ教科書が使われていました。これは、小学校をでてすぐに働く子どもも多い時代です。商売で町名は絶対に必要だからという、なかなか実用的な理由からだったようです。

堺の町名についての豆知識、いかがでしたか? 次回は堺の町のシンボルマーク「町紋」についてです。


古い町名看板。哀愁漂っています。堺のまち中にまだちらほら残っているかも?!探してみては!


Author
渕上 哲也

フリーライター。古今東西、人間のやることは不思議で興味がつきません。同じ人のやることなんだから同じ人が伝えることは出来るはずと、未知の領域ほど向かいたいと思っています。

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