STYLE 過去・現在・未来の様々な視点で堺の持つ魅力を発掘/検証/企画/提案
COLUMN
渕上哲也のサカイノワ vol.5 「御渡り 其ノ三」
住吉大社の神様が年に1度御神輿に乗って堺の宿院頓宮に帰ってくる「御渡り」についてのコラムシリーズも今回で3回目&最終回。「現代編」「明治編」に続きまして、ずーっと時間を巻き戻して「戦国時代編」でございます。
戦国時代末期、鉄砲と一緒に海を渡ってやってきた人たちがいました。遠いヨーロッパのスペインやポルトガル出身の南蛮人と呼ばれた宣教師たちです。彼らは堺にもやってきて、なんと「御渡り」をその目で見て、その様子を書き残していたんです!
その宣教師の名はルイス・フロイス。少年時代に宣教師となり、生まれ故郷のポルトガルからインドに渡り修行をしていた所、ザ・宣教師フランシスコ・ザビエルと出会って布教の情熱に着火! 31才にして、ついに日本上陸しちゃいます。
このフロイス司祭、旅の途中病気で生死の境をさまよいながら日本語を学んで脳内インストール完了という語学ジーニアスでした。日本ではバイリンガルスキルのおかげで、通訳として引っ張りだこに。上司のお供で織田信長、豊臣秀吉ら戦国スターと会ったりしたあれやこれやを書いてみたら、これまた文章スキルもハイレベル。フロイス筆、今に残る名著『日本史』をひもといてみましょう。
まずは宣教師が堺に来た理由とは? キリスト教の宣教師は、お坊さんにしてみりゃ商売敵。京都でちょいと布教活動なんかしちゃったりすると、仏教徒からは命だってねらわれちゃう。マジヤバイと顔面真っ青の宣教師たちに「うち泊まりに来ない?」と救いの手をさしのべたのが、日本一の大金持ち、堺の商人日比屋了慶(ひびやりょうけい)です。まぁ、孫正義がパトロンについたと思ってくださいな。宣教師たちは大急ぎでセーフゾーン堺に逃げ込み、その平和で豊かな様子に「いやー堺こそ東洋のヴェネチアだ!」なんてリップサービス(?)を口走るほどでした。ちなみに、フロイスたちが寝泊まりした日比屋家の跡地は、現在堺区戎之町のザビエル公園になっています。南蛮船型の遊具も設置されているので、その上に立ってフロイス気分を味わうのも一興ですよ!
さて「堺の住吉大明神の祭」の様子ですが、『日本史』によると、御渡りは「鉄砲の射程ぐらい」広い道の両側に木の柵を作る所から始まります。見物人が押し寄せて将棋倒しになっちゃうと困りますからね。
住吉からやってきたパレードは、騎乗した「両手に刀を持った偶像」を先頭に「弓と矢を携えた小姓」「鷹を持った者」、その後ろに武装した騎馬や徒歩の者たちが従います。彼らは口々に「千歳楽(センザイラク)、万歳楽(バンザイラク)」と唱えて歌い大喜びで踊る。この時、行列の馬と馬の間は30人分離れているとか、フロイスさんのチェックポイントは妙に細かい。
さらに後には多くの神主と巫女(女妖術師と翻訳されている!)が続きますが、フロイスはファッションチェックも怠りません。「(神主は)はなはだ広い袖の衣をまとい、紙か革でできた非常に美しい黒い僧帽を頭にかぶっている」、「(巫女は)同様に白衣をまとい、美しく飾り、おびただしい数の婦人たちに付き添われ、歌いながら行く」とあります。
そしていよいよ主役の登場。30~40人に担がれた神輿が姿を現します。武装した人々に囲まれ、神輿の中には偶像がおさめられており、歌を歌う人々が続くとあります。こうしてみると「現代編」で紹介した蘇った「御渡り」はかなり忠実に当時の様子を再現しようとしているように思えますね。
なお、この時代の住吉祭の行列の様子は、後に住吉祭礼図屏風として描き残されており、そこには南蛮人の格好をした堺市民の姿もあります。これぞ元祖コスプレ! 「もののはじまりなんでも堺」には、ぜひ「コスプレ」も加えて欲しいですね。
以上、「御渡り」でした!
参考:『完訳フロイス日本史』(ルイス・フロイス/松田毅一・川崎桃太訳 中公文庫)
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