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渕上哲也のサカイノワ vol.4 「御渡り 其ノ弍」

毎年8月1日に、住吉大社から堺の宿院頓宮まで神様がお神輿に乗ってやってくる神事・御渡りを堺の人たちは「里帰り」とも呼んで大切にしてきました。ところが、不思議なことに現在の宿院頓宮の前にある石碑(フェニックス通りの中央分離帯にあります)には、「住吉大鳥両大社頓宮」と刻まれています。これってどういうことなのでしょうか? 前回に引き続き今回も「御渡り」のお話です。

実は住吉大社の御渡りの前日の7月31日に、大鳥大社からの御渡りも行われているんです。住吉大社は摂津一宮といって、古い国名でいう摂津の国(大阪府中北部と兵庫県南東部)で一番格式のある神社。それに対して大鳥大社は和泉一宮という和泉の国(堺から南大阪)で一番格式のある神社です。神主さんも、同じ頓宮に別々の神様が、それも一宮同士がやってくるなんて聞いたことがないというぐらい、他にはないことなんですって。阪神と巨人、ガンバとセレッソが同じ球場をつかってるようなもんですかね?

どっちがっていうと、本家は住吉です。お堀に囲まれた堺は、大小路が摂津と和泉の境で、まちの所属も北と南で半々だったのですが、その真ん中にあった宿院頓宮はずーっと住吉大社のものでした。この事情が変わっちゃったのは、明治維新の時のことなんです。

明治維新で、色んなことがガラガラポンと変わってしまいました。摂津と和泉の旧国境も、大小路から大和川に移って堺全域が和泉になったり、江戸時代まで神社とお寺はセットだったのがバラバラにされたりしました。明治初年に住吉の御渡りが中止になるのですが、これは堺全域が和泉になったからとも、住吉神社にあったお寺が無くなった混乱によるものとも、あるいは大阪市内で疫病が流行ったからだという人もいます。

なんにせよ、みんなが楽しみにしていた住吉大社のお祭りが無くなってしまい、その代わりに明治8年に大鳥大社からの御渡りがはじまります。お祭りがないのが寂しかったのか、神様に守ってもらえないのが不安だったのか、記録は無く理由は想像するしかありません。

ところが住吉大社からの御渡りも、明治12年には復活しています。それから宿院頓宮は両大社頓宮になって、7月31日に大鳥さんから、8月1日に住吉さんから神様がやってくるようになりました。昔の恋人とよりを戻したんで、新しい恋人とは別れる、とはならずに、どっちともつきあちゃえっていう事なんでしょうか!? いいのか堺!?

でも、どうも良かったらしく、宿院頓宮の神事も、住吉と大鳥で月交代で手分けし、昭和16年に戦争で中断するまでお祭りは続きました。戦後の昭和24年に御渡りが復活した時は、見物人が熱狂して大変だったんですって。堺人の御渡りLOVEはどこから来たんでしょ?

次回は、この御渡りのもっと古-い姿。戦国大名や南蛮人も見た御渡りに迫ります。


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