STYLE 過去・現在・未来の様々な視点で堺の持つ魅力を発掘/検証/企画/提案
CULTURE
渕上哲也のサカイノワ vol.2 「町紋提灯」
錦之町、綾之町、材木町、櫛屋町……堺区の古いまちの名前は、江戸時代や中には戦国時代に、綾錦を織っていた職人、材木や櫛を売る商人がいたことにちなんでいる(前回「町名」より)。堺のそれぞれのまちにはワンアンドオンリーの個性があるんだけど、具体的に個性をシンボルにしたものも実はあるんです。それが町紋と言われるもので、サカイノマのお店の前にも「熊」=熊野町、「錦」=錦之町の町紋を描いた提灯が飾られていますよね。
こんな風に昔はお祭りの時なんかに、自分の町の町紋を描いた「町紋提灯」を家の玄関の軒先に飾ったりしたんですって。クーラーも扇風機もない時代だったから、みんな夕涼みに通りに出て、暮れてゆくまちの通りを提灯が照らしていく様子を見ながらおしゃべりをしたりしていたんでしょうね。
ところで、この町紋提灯、資料によると、同じ町でも違うものが複数あったりするんです。「錦之町山之口」「錦之町大道」とか。なんでなんやろ?
それは昔は道を挟むお向かい同士の並びを町の単位としていたからなんです。今は道路は町の境になっていますけど、考えてみれば朝会って「おはよう」って挨拶するのは、お向かいさんなんだから、道の両脇を「町」にする方が合理的ですよね。「錦之町の大道筋」「錦之町の山之口筋」で、お祭りに参加したり、町の相談事を解決したりしてたんでしょう。
こんな風に堺では通りごとの町にも名前がつけられていて、町名の数は300にもなったといいます。明治時代になって、住所が整理されるようになっても、堺では「丁目」を使わずに「丁」を使うのはこの名残です。「丁目」はナンバリングの何番目ってことだけど、「丁」は本当は番号じゃないんだぞ独立した町なんだぞってことを、ひそかに主張しているんですね。
いつの間にか使われなくなってしまった町紋ですが、最近復活の兆しがあります。再び町紋が活躍するようになってきたイベント、住吉大社の「お渡り」について次回は取り上げます。